《不思議な話》
2012年7月4日の午後に唐木田の実家から義父の介護を義兄と交代をして帰って来た浩に、ある種の勘で「お父様は今晩がヤマだから今すぐ帰ってあげて。」と浩に懇願をして私はベランダでお父様に会えない辛さを噛みしめながら一服をして室内に戻ると、ちょうど浩が受話器を置いたところだった。そして言うことには「兄貴が大丈夫だと言っているからオレは寝る。」と言いそのまま寝てしまったのだが、その晩にお父様は亡くなってしまった。それから10年が経とうとしているのだが、最近お父様がしきりと「やよいさん、会いに来てほしい。」と言うのだ。「あの時は車を持っている聡と和子さんに頼らざるを得なかったが非常に後悔をしている。自分は医者を名乗るあんまの齊藤家に殺されてしまったのでずっとそのことを後悔している。」と言うのである。
そして「看病をした分のお給料を下さい。」と言った和子さんのことを絶対に許せない、とまで言うのである。
私もあのことも、近々に判明をした浩の引越し時の理事への嘘に対しても許す可きではないと思うし、財産を誤魔化して生活保護に一旦入っていた浩も許す可きではないと思う。
私は浩と市役所とここの住民に殺されかけたのだし、実際にお父様は浩や聡や直や齊藤家に殺されてしまった。
多摩センターのベスト電機が開店した時に買い始めたICレコーダーも、もう20本くらいに増えた…。
お父様の遺志も尊重をしなければ。
こういう汚ない連中も↓
こういう汚ならしい連中も↓
本当に汚ならしい顔つきや目つきの卑しい連中を早目に処分をして、私もちゃんと自分自身を取り戻さねばならないと強く思う。お父様いつもありがとう御座います。
そして、ここにいて自分の心身を健全に保つ為にといろいろと試す機会があって実に良かったと思う。何故ならば、これからの時代は『必要の無いモノは無くなるという時代』だからだ。いらない
>>(-.-)ノ⌒ポイっ