暑い!2/21(日)と2/22(月)。眼がやられないようにとサングラスが手放せない。チンピラの町、多摩ニュータウン多摩市諏訪にて。
眼が悪いなんてオカシイよ!
私は老眼でもないしー内科的な基礎疾患があるなんてそんなのオカシイ!
バカは公害だ。。。
■2/22(月)下のポストに自治会の選管からの期日延期の知らせが入っていた…もうバカを相手にしているヒマが無いので夢で指示をされた通りに正攻法で始末をつけるしかないな。ところで総務省の郵政体質はKDD事件!
■総務省(郵政省と置き換えられる)の接待体質は1980年代初頭のKDD事件をうやむやにした罰であるから今回は徹底的に追求をす可きだ。でも予算委員会でまたこれが出てきたら『予算が大事』ということでまたうやむやになるんだろうなー。
KDD事件の時にはKDD内で口封じの自殺者が3人も出たが、それは自民党の議員と官僚と東大法学部の圧力があったからで、今では東大法学部なんて年に600人も募集をしているのに定員割れをしているぐらいに人気が無い学部だし、官僚になってもウマい話もICレコーダーでバレてしまっては今までの人生は一体何んだったんだろうということになる…まっ末は博士か大臣かという学歴社会も地に堕ちたんだろう…。■KDD事件のうやむやの中で私は入社をしたのだが、あの時には皆んなが『会社の名前入りの封筒を持ち歩くだけでも恥ずかしい』と言っていたし、杉並の実家から歩いてすぐの噂の社長、板野前社長の社費で直した塀を見に行ったものだった。
■すごくこじんまりとした家だったわよ。こんなこじんまりとした家であんなに悪いことをしておいて裁判では実証がされないなんて…と石井多加三からの年賀状をもらいながらも、まっいいかー入社をして5日目に5万円のボーナスを貰えたからな、と思っていた自分自身が今では恥ずかしく思う。
■その後に郵政体質は女性の労働者の女性の課長と密接な関係だと気づいたからであった。神奈川県の二宮の家が社内報で写真に写っていた時には本当にビックリして恥さらしの感が戦慄となって背中を走ったぐらいだったからな。
■何回も社内報に載るのを断ってきたのに家が勝手に載っちゃうなんて((;゜Д゜)))その時に大声で『やーだうちが写っている』と言ったら、のちに1998年に局の管理者として対峙をすることになる女が『えーホントー?』と駆け寄って来たので『あ、勘違いでした』と言ったのだがその時に威張れば良かったと思う。ナメられたんだな。
■入社時には役員面接でいた役員が社員食堂にいた私を見つけては『この子はボクが入れたんだ!』と他の役員に自慢をしていたぐらいなんだからもっと研修中に威張れば良かった。
■とにかく副職がOKだったから副職がメインになっていき、KDDなんて帰りのタクシーチケットを配ってくれるタクシー帰りの役目だけになっていき、地下3階にあるハイヤー会社が何んの意味があるのかもよく解らなかったのである。
■夜に具合が悪いと言えばハイヤーで帰れた時代で、社長がハイヤーで日曜日にはゴルフを楽しんでいるとハイヤーの運転手さんが自慢をしていた時代である。郵政省の人達とね。
■とにかく郵政省は三流省庁で東大法学部が行きたがらないから行ったとなるとカネカネカネの世界で昔はカネと女を出せという世界であった。
■郵政省の役人とくっついた女が上に昇れるという世界が変わりだしたのがバブル崩壊後で、いきなり『能力給』になったから頑張れと言われて『能力』を見せると会社に縛られてしまうから極力出さないようにと努力をしだしたものであった。この三流省庁、郵政省と文部省はお向かい同士で霞ヶ関にあった。のんべんダラリとした役人達は『有識者』に媚びていたよ。
学生時代に文部省と文化庁でお茶汲みのバイトをずーっとした経験があるからよく解る。■文部省推薦の映画(嗚呼野麦峠)が決まる瞬間にも立ち会ったし…。原作を読んでいた私にとっては映画が奇抜過ぎたのでビックリしたものである。
■このうやむや処理が密室から外部に暴露をされるようになったのだから、ドンドン始末をしていってほしいものだ。
■とにかく東大法学部なんて年に600人は入れるんだから入ってみれば良い。嗚呼バカバカしー
■首相長男らの接待、内閣広報官も受ける 単価は7万4千円
(朝日新聞デジタル - 02月22日 13:32)
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